ももんがあまんさんの旅行記
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旅行記タイトル:1988年のヨーロッパ、ギリシャ編
旅行期間:1988/09/30〜1988/10/06

旅行記の内容: ヨーロッパ文明、揺籃の土地ですけれど、長年のオスマン・トルコの支配下にあって、少し、コンプレックスが染み付いている為か、何処もかしこも、田舎のワリには、人々に「善良」とか「お人好し」と言う感じが、あまり無いのですね (どちらかと言えば、隣のトルコ人の方に、余裕があるかも知れない)、歴史ある文明国としての余裕よりは、ちょっと疑り深い、被害者意識の強いような、そんな気さえする、慎重な国民性が、少し気になります。
マア、今のギリシャ人は、人種的にも、スラブ系やら何やら、いろいろ混ざっているようだし、トルコ以前の東ローマ帝国も、イスラムと似たり寄ったりの「宗教国家」であったし、2、000年以前の、デモクラシーや哲学者たちの、文明の影を求めるのも、そもそも無理があるのかも知れません。
けれど、それでもやっぱり、ヨーロッパを考える上では、決して外せないところで、観光地としても一級品の、光り輝く、美しい土地であります。
表紙の写真は、クレタ島にある「クノッソス宮殿」の遺跡 (ミノア文明・BC20世紀頃) です、城壁も城門もない、開放的な遺跡で、明らかに、平和な時代があったことを示す、そんな遺跡です、以降4、000年の間、戦乱と被支配の歴史が続いた事を思うと、信じられないような奇蹟の町です、文明と言うものは、決して、「戦争」や「競争」に起因するものでは無いという事を、証明する遺跡の一つでもあります。
写真: ヨーロッパ文明、揺籃の土地ですけれど、長年のオスマン・トルコの支配下にあって、少し、コンプレックスが染み付いている為か、何処もかしこも、田舎のワリには、人々に「善良」とか「お人好し」と言う感じが、あまり無いのですね (どちらかと言えば、隣のトルコ人の方に、余裕があるかも知れない)、歴史ある文明国としての余裕よりは、ちょっと疑り深い、被害者意識の強いような、そんな気さえする、慎重な国民性が、少し気になります。
マア、今のギリシャ人は、人種的にも、スラブ系やら何やら、いろいろ混ざっているようだし、トルコ以前の東ローマ帝国も、イスラムと似たり寄ったりの「宗教国家」であったし、2、000年以前の、デモクラシーや哲学者たちの、文明の影を求めるのも、そもそも無理があるのかも知れません。
けれど、それでもやっぱり、ヨーロッパを考える上では、決して外せないところで、観光地としても一級品の、光り輝く、美しい土地であります。
表紙の写真は、クレタ島にある「クノッソス宮殿」の遺跡 (ミノア文明・BC20世紀頃) です、城壁も城門もない、開放的な遺跡で、明らかに、平和な時代があったことを示す、そんな遺跡です、以降4、000年の間、戦乱と被支配の歴史が続いた事を思うと、信じられないような奇蹟の町です、文明と言うものは、決して、「戦争」や「競争」に起因するものでは無いという事を、証明する遺跡の一つでもあります。
ロードス島、ロードス市 (遠景)
トルコのマルマリスから、ギリシャ(ロードス島)へ入りました。
とても印象的な城壁と城門 (Marin Gate) が迎えてくれました。

ロードス島、ロードス市
イポクラトゥス広場
ロードス島がオスマン・トルコ領だった時代(1522-1912)の記憶を色濃く残す広場です、レストランが周りを取り囲んでいる、島一番の繁華街。

ロードス島、ロードス市
イポクラトゥス広場
同じく、トルコが残した噴水です、しかし、つくづく思うのだけれど、約400年もの長期にわたって支配していたわりには、トルコの残した文物は、この広場と噴水程度で、他には、殆ど何も無いのですね、いったい何のための支配だったのでしょうか?
マア一番の目的が、聖ヨハネ騎士団の追い出しと、島民の搾取だという事は解かるけれども、それにしても、イスラム国家(文明)というのは、生産的で優れたものは、殆ど何も残さない、不毛の文明だという事が、この、支配された土地を見る事によっても、良く解かりますです・・・
マア、広場は、地中海の明るい太陽に照らされて、それなりに美しい広場ですけれど・・・

ロードス市
騎士団長の宮殿 (入口付近)
こちらは、聖ヨハネ騎士団が残した、騎士団長の宮殿、その近くの風景です、似顔絵屋さんが、ずらりと並んでいます。
1299年に、イスラエルのアッコンを追われた騎士団が、この島の支配権を握ったのは1306年、スレイマン大帝の大軍に追われるまで(1522年)約200年、この島を支配します。

ロードス市、城壁の風景
1522年、トルコ軍10万、聖ヨハネ(ロードス)騎士団軍5千、約20対1、五ヶ月の攻防が戦われた城砦です。

ロードス市、城壁の風景
城壁の堀の下には、今も、当時の大砲の弾が、ゴロゴロと転がっておりました。

ロードス市、城壁の風景
城壁は、場所によっては、三重になっております。
この城壁と堀を間にして、どのような戦いが行われたかについては、塩野七生著「ロードス島攻防記」をどうぞ、ロードス島に、行ってから読むか?読んでから行くか?は、どちらでもいいけれど、多分、読んでから行ったほうが良いでしょうね・・・ 言ってから読むと、もう一度、行きたくなります。

ロードス市
城壁&山羊
城壁の凹みは、大砲の傷でしょうか?
山羊が草を食べています。

ロードス市、旧市街
殆ど、中世そのままの街並でしょうか?
15年後に、再び訪れた時、町は、だいぶ綺麗になっていたけれど、この頃1988年は、まだ、薄暗く、なんとなく湿っぽい、不気味な通りも多かった気がします。

ロードス市、旧市街
城砦の中の、細い、建て込んだ、路地ですので、日差しが少し傾くと、どうしても暗くなってしまう、けれど、典型的な、中世の城塞都市の雰囲気を楽しむ事の出来る、そんな街です。

ロードス市
マンドラキ港の風景
古代の「世界七不思議」の一つ、太陽神ヘリオス(高さ20?)の像があったとされる場所です。
もう10月だというのに、未だ甲羅を焼く人々がいます、さすが、太陽神ヘリオスに愛された島であります。

ロードス市、港の風景
かっては、ユリウス・カエサルが留学したほどの、文化と学芸の島であったロードス、いまや、その面影は、殆ど無いけれど、暖かな日差しと、夕暮の美しい港は、多分、変らずに魅力的。

ロードス市、ロードス島の夕暮
暮れなずむ夕暮に、城砦のシルエットが美しい。

クレタ島
クノッソス宮殿 (入口)
BC2000年頃に栄えたと言われている古代遺跡です、クレタ島の中には他にも、フェストスやマリアなど、同時代の遺跡が、いくつか残っています、いずれも、城壁の跡の見られない、平和な時代の遺跡です。

クノッソス宮殿 (朱色の部屋)
この当時(1988年)は、遺跡を歩く順路も特に無く、張り巡らされた縄もありませんでした、だから、ご覧のような写真が撮れました。

クノッソス宮殿
ね!、縄がぜんぜん無いでしょう、今は、この当時よりずいぶんと復旧も進んでいるのかもしれないけれど(何処がどうなったのかは、まるでわかりませんけれど)、縄だらけなのが、ちょっとね・・・

クノッソス宮殿
「迷宮」と言われるほどに、広い、複雑な構造の建築群です、ミノタウロスは、何処に入れられていたのでしょうか・・・? でも、さすがに、そんな地下室は、見当たらなかったです、まだ埋まっているのでしょうか・・・ ?

クレタ島
イラクリオ市内にあった正教寺院です。

アテネ、パルテノン神殿
パルテノンは、以前、パック旅行で来た時に見学しましたので、今回は、下から、記念写真のみ、入場料が無茶苦茶高いのですね、貧乏旅行には辛い世界遺産です。

アテネ、パルテノン神殿
リカヴィトスの丘から
替わりに、以前来たときに気になっていた、反対側の丘に登りました、アテネ市内で一番高い丘だそうで、見晴らしはかなり良いです、勿論、登るのは無料です。

アテネ、リカヴィトスの丘
丘の上には、小さな教会があります、マア、それほどの建物でもないですけれど。

アテネ、考古学博物館
元祖テディベア&少年
フィリップ・K・ディックのSF小説に出てくる、未来の「殺人兵器」のような、可愛い子供の像ですね (エッ、そんなもん誰も知らんて!そらそうでしょうけれど、映画にもなったほどなんですよ「スクリーマーズ」(1996年)って、(小説は「変種第二号」)・・・知らんて!)
それはそれとして、「子供の発見」と言う本に拠れば、ヨーロッパで、子供が発見されたのは、16?17世紀頃の事だとか (日本の場合は、岸田隆盛の「麗子像」くらいからでしょうか?)
明治以来?現在の日本の刑法に於いても、「子供の親殺し」は重罪だけれど(マスコミも世間も大騒ぎ!) 「親の子殺し」は、昔から、遥かにたくさんあるのに、呆れるほどに、量刑が軽いのですね、どういう事なのでしょうね・・・ 儒教のせいでしょうか?
でも「子供の親殺し」というのは、言わば、そんなふうに子供を育てた親の、自業自得と言えない事も無いけれど、親の子殺しは、遥かに、理不尽だと思うのですね、本来ならば、こちらの方が遥かに、重罪だと思うのですけれど、現実世界は、親たちが仕切っているので、逆になるのでしょうね・・・ 儒教など、所詮、権力に都合の良いだけの、俗悪思想という事でしょうか・・・ ? やたら、大儀やら正義やらを唱えるのも、胡散臭いですしね・・ う?ん、話が、かなり、あっちの方まで、走って行ってしまったようで・・・ ???。
ともあれ、西欧中世より、遥かに古い、この古代ギリシャの少年像(小熊を抱いていると思うのだけれど・・?子犬かな・・?)は、何を意味すものでしょうね・・・ こんな大昔に・・・ 考えてみれば、不思議な存在です?

アテネ、考古学博物館
パン&アフロディーテ
英国の小説家、アーサー・マッケンの、物議をかもした、不気味な怪奇小説「パンの大神」(創元推理文庫に収録) のファンにとっては、この「パンの神」には、はなはだ不満です、はっきり言って滑稽すぎるし、威厳もないし、不気味さも無いのですよね・・・ ただのスケベ神ジャン・・・ クピドなんかに負けんなよ!

アテネ、考古学博物館
ミノタウロス像
クノッソス宮殿(クレタ島)の地下室に、飼われていたと言う、神話上の怪物です。
ミノア王の王妃が、美しい白い雄牛に恋をして生まれたと言う、愛の結晶ですね、人間も生き物も植物も、全ての間に、区別の無かった時代の物語ですけれど、ある意味で、現在の遺伝子工学は、それを可能にしたと言えるかも・・・ 怖いけど、見てみたい、半魚人とか、植物人間とか・・・ 人類が生き延びる為に、必要になる時が、何時か来るかも・・・ そんな未来を、予言するかのような、不気味で、リアルな塑像です。

アテネ、考古学博物館
アテネの市民
博物館の一室に集められた、古代ギリシャの彫像群です、今も五月蝿く、議論を始めそうな、そんな迫力です。
議論は、民主主義の基礎なのですね、逆に言えば、議論が下手と言うのは、民主主義の前提そのものが、欠けているという事で、その原因は、他者の思想・存在を容認できないと言う、精神の狭量さにあるのでしょう、いわばソフィストケイトされていない、経験不足ですね、古代ギリシャ市民は、どうだったのでしょうね。

デルフィの風景
アポロンの神託で有名な、古代ギリシャ随一の「霊場」ですけれど、相当に風光明媚であります。
多分、夏は避暑地としても、良いかもしれません。

デルフィ、アポロン神殿
これがその、神託のあった神殿の跡です。
この神託の登場する、有名な物語としては、「オイディプス王」と言う、有名なギリシャ悲劇があります (ソフォクレスだったかな?) 「アポロンの地獄」(1967年 監督ピエロ・パオロ・パゾリーニ)と言う映画にもなりました、何時か、もう一度、見てみたい、印象的な映画でした。

デルフィ
アポロン神殿
元霊場ですから、今は信者が一人もいないとは、言われているけれど、それなりに、雰囲気はあります。
ところで、デルフィは、「世界のヘソ」とか言われていたそうです、さしずめ、出ベソですね?

デルフィ、アポロン神殿
宝物庫なんかも、沢山あったそうですけれど、勿論今は、中身は、なーんも無しです、ローマの将軍(スッラ)にも、持ってかれちゃたようだし・・・ 探しても、何も落ちておりませんでした・・・

デルフィの遺跡
これは、初期キリスト教時代の「十字架」の標(石板)です、これが何故、この地にあるのか? 良く解かりません・・・ デルフィは、ローマ皇帝(テオドシウス)の「異境禁止令」(AC385年)で、閉鎖となるのですけれど、それより後の時代のものなのでしょうか??

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